桂林禅寺
聯芳山桂林寺は今からおよそ三百九十年前、江戸時代初めの寛永五年 (1628)に開かれた臨済宗の寺院です。
開かれた人(開基)は米沢藩主上杉定勝の長女徳姫、法名を松嶺隠之尼禅師(しょうれいいんしにぜんじ)という方でした。
尼禅師は夫である大聖寺藩(加賀藩の支藩)の前田利治が亡くなったあと 臨済宗のなかでも純粋禅正流の法脈を嗣いだ至道無難禅師に参学し、その門下有数の尼禅師となられた方です。
そして、江戸府内にいくつかの寺院を開創しましたが、その一つが中興以前には五葉庵と号していた桂林寺です。
桂林寺は開創以来、数々の震災、戦災などを運よくまぬがれて創建当初の 御本尊や古文書(文京区有形文化財指定)が残っております。
五葉庵開創の地は、現在の港区飯倉片町です。しかしその後、早くも開創の翌年の寛永六年(1629)には同町内の別の地に移り、さらに慶安元年(1648)に白金村(港区)に移転、ここにあること十四年にして寛文二年(1662)こんどは麻布本村(現・港区南麻布二丁目)に移っています。
このように開創当寺三遷して麻布本村に落ち着いたかにみえた五葉庵でし
たが、この土地は風雨による被害をこうむりやすい、きわめて好ましからぬ立地条件であったため、早くから、さらなる移転が歴代住職の宿題とされたのです。
その宿題は、八代将軍吉宗の治世の享保十一年(1726)に住職となった古同惟庸和尚によって遂げられました。
享保十二年(1727)に現在の地に遷地する事業をなしとげたことが和尚直筆の『五葉庵遷地記』(文京区有形文化財)などに記されています。また、この年に山号・寺号の改号の許可を得ています。
そして、開山には江府触頭四カ寺の一として臨済宗妙心寺派の江戸における重鎮とされた牛込・松源寺五世の江山宗岷和尚、中興開山として同松源寺六世の大拙祖栄和尚を勧請し、ここに桂林寺が中興されました。