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数年前のこと、朝のはき掃除をしていた時に、山門のまえで通りすがりの方に尋ねられました。


「仏教の教えは絶対的なものですかねぇ?」と急に聞かれたので


とっさに「いやぁ、相対的なものです。」と答えると

 

その方は少し憤慨しながら「宗教は絶対的なものでないといけません!

すくなくともわたしの信仰する宗教は唯一絶対的なものです。」と言い

去って行きました。


私は途切れぬ落ち葉を掃きつづけ考えました。


なにひとつ絶対的なものの無い世界で生きているからこそ、人は 絶対的なこころのよりどころを求める、そしてそれが宗教心なの だと。


しかし、ふと自分の宗門をふりかえると、釈迦の教えの根本にある  「諸行無常」この世のものは全て移り変わる・・


すべての事象は移り変わるものと悟って生きなさい。


もし、わたしが通りすがりの方の信仰の詳細を知っていれば、あのように無造作に答えることは無かったのですが(少し反省)。


それにしても宗教心とは如何なるものか、どこへ向かっていくものか?


信仰の到達点というのはみな同じ場所に行きつくと思っていますが、そこまでの道のりがあまりにも違う、もしくは正反対なので人々は錯綜するのでは・・
そして宗教が絶対的な「唯一」のものでなければならないうちは、ぶつからざるを得ないのだと思います。

 

私は縁あってこの国のこの仏教にありますが「無常のことわりを追い求める」この教えで良かったなぁと思っています。

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